原爆の日

8月6日といえば語呂合わせで、ハローの日
といいたいところですが、少しまじめな話をしましょうか。

広島に原爆が投下されて、今年で59年目になるそうです。
小学校の頃に平和学習というのがありまして、
その頃は40何年っていってましたから、
それから随分と年月が流れたものです。
すでに、敗戦当時に生まれた方は還暦をお迎えになるんですね。
戦争の記憶というのが徐々に薄れつつあるのを、実感できます。

ところで、私の父方の母親(祖母)は、広島の出身です。
その祖母の兄(叔父)は、昭和20年当時、広島大学の教授をしていました。
今日は、叔父さんの原爆にまつわる体験談を紹介したいと思います。

叔父の家は広島市内からは電車で30分ほどの距離にある、海軍基地で有名な
呉市にありました。昭和20年8月6日。いつものように、
叔父さんは、市内の大学に向けて、朝7時30分頃に呉駅を出発しました。
その汽車は8時10分頃には広島駅に到着する予定でした。

ところが、広島駅まで後10分というところまでやってきて、
トンネル内で、汽車が故障の為、停まってしまったそうです。
故障点検作業が思いのほか長引き、遂に運命の8時15分を
そのトンネル内で迎えたそうです。地震とも、雷ともいえないような
轟音が、トンネル内に響き、トンネルが一部崩れたそうです。
汽車はそれ以上先に進めなくなってしまった為、
呉に引き返したそうです。もし、汽車が故障しなかったら・・・、
叔父さんは、恐らく生きていなかったでしょう。
私の運命すら変わっていたかもしれません。

この話は小さい頃、祖母から耳が痛くなるほど聞かされたので、
よく覚えています。この8月6日になるたびに、この話を
ふと思い出してしまいます。戦争について考えるよい機会だと思いました。



・・・さて、少しハロー関係の話題など
先月注文した、えがお通販がもう届きました。
アロハロの川o・-・)の水着写真(TOP参照)、普通に萌えますw
注文の時期によって発送時期が随分違うんだなと驚きました。